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渋谷 台湾料理店の奇跡!

9月7日夕方
「すみませーーん。
この名刺の方ってお店にいらっしゃいますか?」
若者がショーケースの前で私の名刺をスタッフにみせていた。

今年の6月3日の夜、
私は渋谷の台湾料理屋さんで
チョコガカリさんんと私の友人のM子ちゃんと3人で夕食をとっておりました。
その時のお話です。

その台湾料理店は大変な人気店のようで
1階も2階も満席で、我々3人は席が空くのを並んで待っておりました。
ようやく通されたのが、2階の大テーブルです。このテーブルは相席。
すでに先のお客様3人が楽しそうにお食事されておりました。
我々:「こんにちは!よろしくお願いいたします!」
と相席になる挨拶をした。(チョコガカリさんは別として我らは熟女である。目の前には若い男性だ。相席を楽しくするには後で来た人間のフレンドリーシップと腰の低さが重要とついつい考えてしまう。)
目の前の3人にお勧めメニューなどのアドバイスをもらう。
感じよく答えてくれる。
ちなみに友人M子ちゃんは上沼恵美子さんとマツコデラックスさんを足して2で割ったような話上手さん。
我々も楽しく台湾料理をスタートておりました。

日本に来て9年。店を開業して8年。初めての東京での営業。
なのに前日の悪天候で新幹線が運休し、弊兵の体で予定より4時間遅れで東京着。
そのため予定していたポルトガル大使館のレセプションには参加できなかった。
私はこのレセプションでたくさんの人に出会い、ポルトガル菓子店カステラ ド パウロのポルトガル菓子を食べていただけるように
営業することを、【自分に課せられた使命】と感じ、気合が入っていた。

自宅を出る前も
「ハンカチ、テッシュ、名刺」と指さし確認。
タクシーで11時に京都駅へ。
前日の悪天候で新幹線が運休になっていることなど
つゆ知らず、、、、。京都駅のホームは人であふれかえり
身動き取れず、12時をすぎてから運転が再開されたものの
私の持っていた指定席ののぞみは運休されていたので無効。
200%いや、もっと。山手線の通勤ラッシュと同様の込み具合。(運休の理由がおてんとう様だったので車内ではみんな黙って東京に無事につけることだけを念じている様子。この静かさは日本文化だ。)
のぞみ号は頻繁に停車し、東京にたどりつけたのは17時過ぎ。
その間、飲み食いトイレは一切なし。
営業のためにやってきた東京で、営業できなかったもどかしさ。フラストレーション。

目の前にいる3人がお会計を頼んだ。
(ああーーーーかえりはる。このままではいかん。告白だ!)
智「もう帰られるんですか。その前に5分だけ営業させていただいてもよろしいでしょうか。」
私はおもむろに名刺を取り出し、3人にあらためてカステラ ド パウロの代表としてご挨拶させていただいた。
で、いつものセリフ
「日本中の人にポルトガル菓子を知ってもらいため、100年後の日本にポルトガル菓子を根付かせるために
リスボンから京都へ店ごと引っ越してまいりました。明日は代官山のポルトガルイベントに参加させていただきますので
お時間あらばおこしください」と。
すると
「僕、8月に京都へ行く予定です!」
と言ってくれた。
智「京都のうちの店にきてくれたら、必ずこの名刺をスタッフさんにみせてな。ほんで渋谷の台湾料理屋さんで相席やった、っていうてな。なんかおまけするさかいに。」
このあと2組の方々(高校生のお嬢さんとご両親の3人家族、滋賀県出身で東京で働く幼馴染の男女)と相席になった。
もちろんその2組の方にも営業させていただいた。
営業できてかなり嬉しかった。
そして私をサポートするようにM子ちゃんが合いの手をいれてくれたり、補足してくれたり、、、。
その様子をチョコガカリさんは静かにニコニコしてみててくれてはる。

そして2日前チョコガカリさんがと京都でお会いした。
その際にチョコガカリさんのスタッフさんも弊店で喫茶をしてくださったので
一連の渋谷の台湾料理店での話をさせていただいた。
智「そやけどまだ誰も店にきてくれはらへんねん。」

好青年の男の子は大学生で神奈川県在住。
歴史好きで8月に友人と京都に来る予定があったが、予定変更で入洛が9月になったということだった。
もー、感じいい。
嬉しい!
楽しい!
ウキウキのワイワイだ!

もー約束しちゃう、私と出会ったら楽しくなるから。
ポルトガル菓子を食べたら温かい気持ちになれるから。

余談:渋谷の台湾料理店で彼らが我ら3人と相席になる前は若い女性らと相席で
   彼らから「大学生?ここ初めて?」などと話しかけたそう。
   しかし彼らは彼女らに無視されたそうな。(女の子たち、なんで無視したのかしら?見た目もよく感じもよく楽しそうな大学生3人じゃないですか。相席になったらたの    しくしたほうが食事もさらに美味しくなるのに。)
   だからその女の子らが去り、我々がきてホッとしていたそうです。