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1991年へタイムトラベル

9/23 京都は祝日にもかかわらず雨だった。そんな中、リュックを背負った女性がご入店。2階のお席にご案内。その彼女は1991年にポルトガルの我が家でホームスティしてくれたK子ちゃんだった。アルバムに貼ってある1991年の私たちの写真をまた撮って紙焼きして、アルバムにして四国から京都まで持ってきてくれたのだ。写真の中にはハンサムなパウロと、ギリ20代の私と小さな息子がいた。

最近の出来事はほとんど覚えていないが、30年前のことはよく覚えている。私が大学生の時に初めてポルトガルへいったのでありますが、その際に「ポルトガル人のおうちに入って日本語でポルトガル菓子や料理をならえたらなぁー」と強く感じたことが、自宅でホームスティをはじめるきっかけでした。いつもそうなんだけど「今」の自分にできることから始めるのが私のやり方。当時の私はお菓子屋を開業したくてしょうがないけど、お金がない。とりあえず自宅の台所でデザート菓子を作り、近所のカフェやレストランに卸しておりました。産後1週間目には生まれたばかりの息子が眠っていることを確認して、お菓子を届けに行ったこともありました。あの頃の私はガムシャラ。31年目に再会したK子ちゃんは、今のカステラ ド パウロの存在を本当に喜んでくれていた。「誇らしい」と言ってくれた。そのことがとても活力を与えてくれた。素直に嬉しかった。

コロナの影響、原材料やエネルギー価格の高騰、暑さ、雨、台風などの影響を受け商いは思うようにいかない。でもいつもいつも何か前に進めることを探している自分がいる。その背中を押してくれているのが、私が今まで出会ってきた人達なんだ。K子ちゃん、1991年を振り返らせてくれてありがとう。また再会したときに褒めてもらえるように生きていきます!今はパっとせえへんけど、必ず日本中の人にポルトガル菓子を認知してもらうからね。