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私の財産

北野天満宮の紅葉苑のライトアップもあり紅葉が美しい京都は順調に観光客が増えている。
そして我がポルトガル菓子店カステラ ド パウロ もご来店くださるお客様が増えております。
そんな折の金曜日、ポルトガルで出会った知人が2組ご来店。1組はご夫婦で10年くらい前にリスボンでガラス工芸に励むご子息を訪ねてこられたとき。もう1組は女性おひとり。25年前に我が家はいわゆるゲストルーム「パウロの家」を営んでおりお泊りくださった。
「パウロの家」は泊まってポルトガルの家庭料理やお菓子も一緒に作りましょう!を実践していたホームステイ。
お帰りの際は「パウロの家」ノートにお名前や住所,感想?観光情報などなどを書いてもらっていた。
25年前の彼女のお顔は思い出せなかったけど、
お名前を聞いたときに彼女の字を思い出していた。きれいで読みやすい少し小さめの字。ちょうどそのころの私たちは菓子工房の営業許可のことで大きな壁にぶちあったっていたときだった。
彼女はパウロの家ノートに「工房の件、お二人のことだから必ず上手くいくと思います。そのチャンスが1日も早く来ることを願っています。」と書いてくれておりました。
 大学生の時に長崎で一切れのカステラをほおばり
「今のポルトガルのお菓子ってどうなっているんやろう?」
という素朴な疑問を抱いたことが
私のポルトガル菓子&料理の追っかけ人生のスタート。
そして「ポルトガルの食を日本に紹介するんや」
という大志を抱き大学卒業してすぐにポルトガルに渡るのであるが、、、、、、、。
ま、いろんなことが起こります。
そんな中、私は本当にたくさんの人と出会って皆様の良きエネルギーのおすそ分けをしてもらいました。
その充電や補給がなかったら
ポルトガルの食の追っかけは続けていられへんかった、と断言できる。
だから2014年に日本へ引っ越してくる際に
お菓子の道具とともに12冊の「パウロの家ノート」も一緒にもってきた。
心が疲れた時、体が疲れた時、ノートを開く。
1997年にパウロの家にスティされたN子さんは
ご来店の際に私が作った料理の写真もきれいにアルバムに整理されていて
わざわざ京都まで持ってきてくださりみせてくださった。
あ!鴨ご飯や。今日の店のスタッフの賄ご飯は鶏ご飯。(鴨ご飯のアレンジ)25年前とおんなじ料理作ってる。てへへへ。成長なしや。
でもアルバムのそのページのタイトル「智子さんの家庭料理」
となっていたことがうれしかった。
金曜日も店は大忙しでN子さんとお話する時間がなかったことが悔やまれる。
でも1997年のノートは読み返せた。
また元気をもらえた。
今日も1日たくさんのお客様が来店してくれはって忙しくなりそう。
さぁーポルトガル菓子を日本中の人に食べてもらうぞー!
では仕事の始まり始まり。