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自分たち史

この2日間の定休日を利用して
ポルトガル菓子レシピ動画5本の撮影を
させていただきました。
そのあとで
私とパウロの出会いから現在に至るまでを
語るシーンがありました。
ま、1時間ですから
かなり要約し、とばして、はしょっての話となります。
ただ
私共は
時々今回のように
テレビやラジオ、雑誌などのインタビューにこたえる
形で
自分たちの歩んできた道を
振り返る機会があります。
毎回、感慨深いです。
よう日本の京都までたどりつけたな、という思いがあります。
パウロは大変だった事はもう語らんでええやん、というタイプ。
私は、第三者は私らがだまされた話とかお金が全くなくなった話とかスリと戦っていた話とか
ききたいんとちゃうんかな、と思うタイプ。
でも動画の中では
言葉にしなかったけれど
自分たちの歴史を振り返り
なんか私たちってトラブルを起こす天才っ?
て思うほど
いろんな事件に巻き込まれる。
でも結果からいうと
悪い出来事も次の良い出来事に繋がっている。
昨日は
久しぶりに
パウロが長崎の1681創業の松翁軒でカステラ製造技術を習得させていただき
ポルトガルでカステラ ド パウロを開業したことを
思い出しながら話しておりました。
売れへんかったなぁ。
全然売れへんかった。
それで地元のお祭りで
ブースをかりてカステラの試食販売を試みたものの
当時のポルトガルには試食販売という概念がなかったこともあり
なかなか試食さえもしてもらえなかった。
夏とはいえ夜は冷える。
あの時
本当にさむかったことを思い出して
思わず両腕を交叉して肩からひじをさすってしまいました。
でも
あのさむさやつめたさをまだ覚えているから
先に進める気がする。
あのとき、飛ぶようにカステラが売れたならば
今の私たちはない。