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今の祇園、80年前の祇園 

今日は
リスボンのカステラ ド パウロで
働いてくれていたMさんの
お里帰りにあわせて、彼女の好きな湯葉料理を食べに
祇園南側へ行ってまいりました。
その湯葉屋さんがめちゃくちゃ母の実家の近所で
私にとっても第二の家である「祇園のおばあちゃんの家」でありました。
この祇園南側は母の実家があった場所でもあります。
歌舞練場の裏、安井の金毘羅はんの西側、建仁寺の北側にあった
借家を大工の私の祖父が改装しあいびき旅館を営んでいた。
そこが
なんと今は
中国人経営の
レンタル着物屋さんに
なっていた。
美味しい湯葉りょうりのあと
母とともに
元実家に事情を話し
入らせていただきました。
お風呂とトイレの前の小さな中庭は壁で一面はおおわれていました。
外観は変化なく
玄関も変化なし。
なかの階段も同じ。
母は
長年過ごし、ここから京女に通い、結婚するまでここに暮らし
父と喧嘩をすると私共を連れてもっどって来ていた家。
お隣さんはどうしてはるのか
そのさらにお隣さんは
近くであったのは「氷屋さん」だけでありました。
実家の前の崇徳天皇の御領さんもかわりなし。
私の祖母が
いつも
水を変え
サカキを用意していた。

隣の隣の隣のお茶屋さんの「やなぎ」さんはありました。
90歳の母には
「知っていた人はみんな天国に行ってはるで」
と言い、指を空にむけてつきだした。

こんなになった祇園でも
観光客の人は
ええところ やと思って歩いてはるんやろか

90歳の母は混乱していると言った。

安井の金毘羅さんは
お買い物への近道だったので
よくとおったし
よくあそんだ場所。
昔は人気が少なくて、ちょっと怪しい人が出てきそうな
かくれんぼをしてもだれもみつけてもらえないような
そんな場所だったのに、、、、、、。

大人気で
商売繁盛でけっこうなことでした。

時がたつと街も変わる。
しかたのないことや。
もう昔の祇園やない。

あ、でも、湯葉屋さんには外国人のお客様はいてはらへんかったなぁ。ほっと一安心。

私見やけど
観光では
日本はよくならないと思う。
インバウンドをあてにするなんて
嫌やな、私は。

私は日本中の日本人にポルトガル菓子をしってもらう→→→心温かな人を増やし日本をよくする
を、目指している。
やります。
やるきゃ、ない!