もし
種子島に3人のポルトガル人が漂流していなかったら
私の人生はいったいどうなっていたのであろうか
この夏、いや昨年の冬から天正遣欧少年使節のことを考えていた。
私達は
なぜ<島原の乱>のあった南島原市に
南蛮菓子を新たな地元のお土産菓子として開発してくださいと依頼があったのか。
なぜ、なぜ、なぜ。
ほんの少しの市の方との会話から
共通の知り合いがポルトガルにいることを知る。
店の定休日の水、木を利用しての南島原市での講習会。
肉体的にきつい。
でもやりたい。
再びこの地に南蛮菓子を根付かせたい。
今回もVILA VICOSAのポウザーダのスィートルームに滞在する。
ここでかつて作られたいた菓子を学ぶため。
宮殿も結局パウロと私の二人だけを案内してくださった。
天正遣欧少年使節団のお土産も宮殿に展示されていた。写真不可なのが本当に残念だ。
ポルトガルでの時を振り返る。
なぜ、天正遣欧少年使節に光をあてることになったのか、不思議だ。
もしキリスト教が日本に伝来していなかったら
カステラは存在していない。
ということは
大学生で長崎に観光旅行した私はチャンポン、皿うどん、のみ食べて普通に松江にもどったのか。
実は
私の人生も
大きな歴史のうねりに
まきこまれていたのであろうか。
でもやっぱり人生に
IF
なんてない。
今、現実がある。