ヤッフーニュースで老舗の和菓子屋さんがどこかのホテル?とコラボして
アフタヌーンティーを展開している記事を読みました。
「ふううーーん、なるほど」
「サンドイッチやスコーンじゃなくても見た目がきれいで楽しくて美味しかったら素敵なティータイムになるよね。」
ほな、うちやったらどうなるのかしら???
やはりポルトガル人宣教師を厚遇してくれた信長のことは私も感謝しております。
それで、どうだうちが戦国時代というか南蛮文化が開花した時代に店ごとタイムトラベルしたら、どんな物語がつくられるのだろうか、とちょっと考えてみた。
もちろん、信長が京都にきたときはうちのパォンデローをたべていただく。
豪快に手でちぎって。
そして砂糖や小麦の入手がよりたやすくなるようにお願いする。
しかし、その後豊臣秀吉により「バテレン追放令 1587年7月24日」が施行される。
信仰をもたないパウロは日本滞在を許される。(このバテレン追放令は貿易はOKだった。)ただ同胞のポルトガル人宣教師が捕えられることに苦痛を感じつづけていた。苦しんだパウロは宣教師らとともに一条戻り橋から長崎へ向かう。カステラ ド パウロでは智子と清美がパォンデローを焼いてくれている。そこはしっかりと教え込んできた。
長崎に着いたパウロは最後の願いとしてパォンデロー製造法を日本の菓子職人に伝授する。
その後、彼が無事に中国のジャンク船にのれたのか処刑されたのかは誰もしらない。
1587年10月1日に北野天満宮で催された「北野大茶の湯」では、そのお菓子として
カステラ ド パウロのマミーニャシュが採用される。
智子はパウロの意思を引き継いでパォンデローを作り続けることを胸に必死にいきる。21世紀に戻りたいけれど、この時代の日本も好きになっていた。
ときは流れ、
2023年5月、北野天満宮の青もみじをみるため、合格祈願のためにたくさんの人が日本中、世界中から押し寄せる。
そのすぐそばにもう16世紀からつづく老舗の南蛮菓子屋カステラ ド パウロがある。
お詣りのあとにパォンデローを食べる人やお土産に購入する人で賑わいつつも、落ち着いた雰囲気をかもしだしている。
1人の外国人がカステラ ド パウロに入る。
「ボンディ-ア」
蔵作りの高い天井を見上げる。
「ここ、俺の店だ。2015年4月7日にオープンさせた俺の店カステラ ド パウロだ!」
いったいどうなっちまっているんだ。
続きはみんなで考えてね。